ドラクエよろず考察所

ドラクエに関するありとあらゆることを主観に基づいて考察しています。

ルックバックの個人的な覚え書き

仕事が忙しすぎてほぼ仕事したしていない管理人です。こんばんは。ひさびさの記事が漫画の考察で申し訳ないんですが、藤本タツキ先生の読み切り「ルックバック」を読んで、いろいろ思うとことがあったので書き記していこうとおもいます。

さっき、フリートで長文を打ったら半分しか表示されなくて、がっかりしたんですよ

 

※以下は、あくまで個人的な感想です。自分は違うとか、こんな感想は受け入れられないという方は、時間を無駄にさせてすいません。どうかそっとじでお戻りください。

 

私はあなたを知らないけれど、あなたは私を知っている

創作に関わる人間が誰もが一度は感じる恐怖が、「知らない人が自分の一部を知っている」ことだと思う。創作物は世に出れば名前付でありとあらゆる場所に拡散する。そこから、何をくみ取るかは読み手に委ねられる。そして、創作物がプラスの印象を与えるとは限らない。類似を指摘されるかもしれないし、盗作したと思われるかもしれない。世の中の99%の創作物は誰かの模倣で、もう見たことも聞いたこともない物語りなんて、この世に一欠片くらいしかないだろう。そして、創作物を読んで誰が何を思うかは個人的に自由である。この恐怖がこの作品の根源にある

 

京本は天才なのか?

ルックバックの主人公のひとり、京本は小学校の頃から引きこもりである。中学にも登校している形跡がない。世間から見れば早々に生存競争に脱落した「負け組」である。進学も、就職もできず「絵を描く」ことで現実から逃避し、死んだ時にほっとされるような人生を歩んだかもしれない。しかし、京本は藤野と出逢うことで「漫画家」という一発逆転ホームランを放った。それでも、京本はまだ危うい。藤野に「原石を磨いて宝石に仕立てる」という作業をさせるきっかけを作ったものの、彼女はまだ藤野の痕をくっついているだけ。自分でストーリーも作らなければ、売り込みもしない。

あくまで、藤野におんぶに抱っこしているだけだ。その証拠に、藤野は京本が去った後も黙々と漫画を描き続けアニメ化までにこぎ着けている。つまり、藤野と京本が切磋琢磨し成長し合った甘酸っぱい成長ストーリーは、京本が藤野の元を去ったときに終わったのだ。藤野の完全勝利という形で。

確かに、藤野は京本のイラストがきっかけで絵を学び、漫画を描き、共にデビューした。でも、京本がいなければ藤野が漫画を描けなかったとすれば、京本が去った時点で藤野は筆を折らなければならない。そうならないところが、この話の肝だと思う。

余談だけど、pixivに天才漫画家が挫折してウツになってる元漫画家の世話を焼く人の話があるが、一般的な主人公成長譚は後から描いた人が天才で主人公をあっという間に追い越してしまう。でも、京本はそうならなかった。藤野の起爆剤にはならなかったが、藤野を超える天才ではなかった。だから、美大という新しい道を選んだ。そこまで彼女も成長した。(引きこもりに戻らなかった)

 

あったかもしれないハッピーエンド

ルックバックがごく普通の漫画家成長譚であったら、京本は美大に通って全く新しい創作手段を身につけ、再度藤野の度肝を抜くだろう。そして、藤野が奮起する。全く違う場所、違う手段で成功を収め続ける2人の競争譚が、もしこの話がハッピーエンドであったなら、の続きだと思う。そのゴールがどちらかの墓に酒を注ぎながら「最後までお前に勝てなかったよ」というか、「もう一回2人で漫画描くか」になるかは分からないけれど。でも、そうはならなかった。京本の命はある日あっけなく奪われてしまう。

 

創作と殺意

創作で飯を食っていくのは難しい。ヒットの裏には膨大な努力がある。でも、創作物だけをぽんと見せられても作者の苦悩は見られない。そして、表に出てくる創作者は苦労を見せない。そして今、読者と作者の距離はあり得ないほど近い。SNSで感想はすぐに分かるし、売れれば売れるほど妬みとひがみは強くなる。創作をすることはどこかの誰かの妬みを育てることにも繫がるかも知れない。そして、創作者に危害を加える、危害を加える予告をして逮捕される人も後をたたない。

事件によっては殺された人より、殺した人の方に賞賛が集まることもある。そして、この作品は冷静に問いかける。「姓名と年齢だけが広く伝わった被害者がこんな人生を歩んでいたんだよ」と。少し前に「なぜ、人を殺してはいけないのか」という問いとその答えが話題になったことがあったが、この作品はその問いの明確な答えの1つだと思う。奪った命の重さ、尊さはどんな悲惨で同情すべき理由がある人も背負い切れるものではないのだ。

 

そして世の中は事もなく進んでいく

京本の死後も、藤野は筆を折らない。折れないのかもしれない。折ってしまったら、顔もよく分からない殺人犯に負けたことになるから。その心の中は誰も分からない。漫画後半のif設定は、彼女の祈りであり、願いであったがそれは叶えられなかった。京本は理不尽に殺され、藤野は生きていく。それだけ。「殺人は命に対する最大のテロ」と作家の宮部みゆきは言ったが、そのテロリズムは何も起こさない。人が消え、少数の人が嘆き悲しみ、そして世の中は何事もなく進んで行く。

この話は単に成長譚ではなく、創作に関わるあらゆる喜びとリスクと理不尽と、そして救いがつまっている。いや、いい話読みました。

これを何百万人の人を一瞬で殺す漫画チェーンソーマンを描いた藤本先生が描くからすごいんだよね。