ドラクエよろず考察所

ドラクエに関するありとあらゆることを主観に基づいて考察しています。

グレイグの追加エピに関するネタばれと考察

久しぶりにこのブログに戻ってきました。
10月20日にインテで開催される11番目の勇者7にサークル出展するために、原稿をガリガリやっておりました。(入稿しました。本は出ます)
そうこうしているうちにドラゴンクエスト11Sが発売され、物議を醸し出していたグレイグの追加エピソードも明らかになりました。
本日、その追加エピソードを確認したので、感想および考察を行いたいと思います。

以下の諸注意をまずお読みいただき、本文へお進みください。

※ これは杜若個人の感想と主観に基づく考察です。

※ コレが正しいと声高に主張するわけではなく、こういう考え方もあるという意味で読んでいただければ幸いです。

※ 考察はこじつけに近いものもあります。

※ ドラゴンクエスト11S、「グレイグの追加エピソード」のネタばれをがっつりしております。

以上をご了承の上、本文にお進みください。

ルノーガと関わった時点で永遠に「普通の幸せ」を得ることができなくなった2人

グレイグとホメロスは、「勇者」でこそなかったものの将軍として人々の尊敬を集め、国を守る要として生きていた。今までのドラクエの世界では「普通の人々が得られる最高ポジション」についていたと思う。
グレイグが「戦士ネルセンにゆかりがあるかもしれない」と匂わせているものの、双賢の姉妹のようにはっきりと使命を与えられていたわけではない。
この2人は、ウルノーガと関わったことにより運命を大きく狂わせられ、その結果永遠に、結婚し、子に恵まれ、伴侶と共に人生を歩んで老いて死ぬという「平凡な幸せ」を得ることができなくなってしまった。
これが2人の望んだ「幸せ」かどうかは分からないが、

「双頭の鷲として、協力しながら武と智の両面でデルカダールを支えて将軍職を全うして退役し、残りの余生をつりでもしてのんびり過ごす」

という可能性もなくなってしまった。時渡り後の世界では、人魚ちゃんさえ生き返ってすべてのしがらみをぶち壊して幸せになっているというのに、その点では、とても不公平だなと思う。

ホメロスの激情をなかったことにしなくてよかった

今度は肯定的な感想を述べよう。表の世界でホメロスはグレイグに強い憎しみを抱いて

魔に堕ち、そして討たれて死んだ。私はこのストーリーがとても好きだ。ドラクエは登場人物がみな聖人君子すぎるところがあり、それが「底が浅い」と感じられてしまうこともある。しかし、ホメロスは「優秀な友人への嫉妬」という誰もが一度は覚えたことがある感情を煮詰めて沸騰させたあげく、魔に堕ちてしまった。
愚かだなと思う反面、とても共感した。
Sの発売日前、ホメロスの露出が一気に増大し、「ホメロスが仲間になるのでは」という憶測が広がった。それはそれでうれしいことだったが、同時に心配になった。

「あの彼のこじらせた激情にどう始末をつけるんだ」

まさか、勇者の力で憎しみを浄化し、きれいさっぱり消してしまって握手なんてことにはならないだろうな、と思っていた。
そんなご都合主義は、表への彼への侮辱だ。人生をかけて何もかも捨てて、家族同然の人間を憎みきった感情は尊重されるべきだし、安易になかったことにされたくない。
公式が彼の激情を安易な「勇者の力」で消し去らなかったことに心から感謝したい

荒魂(あらみたま)と化したホメロス神道的な解決

ここからは追加エピソードのネタばれと主観的な考察をしていく。

追加エピソードを見て、一番驚いたのはドラクエの世界に「怨霊」という概念があったことだ。怨霊は恨みを飲んで死んだ霊のことであり、恨みを晴らすためにこの世に仇なす存在である。怨霊を退治する方法は2つある。

1つは、怨霊より強い力を用いて怨霊を封じたり消し去ったりする方法。

2つめは、怨霊を神として祭り上げる方法。

 表ルートのホメロスも生きながら怨霊になったようなものだが、1の方法で倒された。

一方、追加エピソードでの退治方法は2に近い。そもそも、黒い影が城の中をあちこち移動して人々を不安がらせたり心配させたりという演出そのものが、菅原道真とか崇徳天皇が怨霊化したときのエピソードによく似ている。彼らは、政治争いに敗れて宮中をさり、失意の中で死を遂げて怨霊となって復活した。そして、たたりを畏れた人々の手によって「神」として祀り立てられることで、自尊心を満足させ、心を鎮めた。

追加エピソードでグレイグが行った行動はまさに怨霊と化したホメロスを「神」として祀りあげる行為だったと思う。

ホメロスはグレイグと戦うことで、己の心情を吐露することができた。一方、グレイグはホメロスを怨霊と化してしまったのは自分だという自責の念を戦いを通してある程度浄化することができた。つまり、あの戦いは「荒魂」(あらみたま)を「和魂」(にぎみたま)とする儀式であり、ホメロスがグレイグによって怨霊から軍神へと変化できたと考えられる。(あくまでも主観)

現人神と化したグレイグ

さて、怨霊から神となったホメロスであるが、彼に必要なのは祀られる場所である。菅原道真天満宮崇徳天皇白峯神宮に祀られている。祀られることにより、神となった怨霊はその恐ろしさと生前の功績などを脈々と後生に伝えることができるようになった。それは、永遠の命を得たに等しい。

ホメロスが自らを祀られる場所として選んだのはグレイグの纏う「鎧」である。つまり、鎧を纏ったグレイグは歩く「神社」であり、グレイグはホメロスの功績や人となりを語り続けることになるだろう。(推測)
それによって、ホメロスはグレイグがこの世に存在する限り、人々とグレイグの「記憶」の中に生き続けることができるようになり、人々は、グレイグの姿を見るたびにホメロスを思い出すことができるようになった。
また、グレイグはホメロスの魂が宿った鎧を身につけている限り、「現人神」となって「神」と同等の尊敬の念を得ることができるだろう。
ただし、「現人神」というのは、人々の尊敬を集める代わりに「人」としての生活や幸せを手放さなければならない。グレイグは、ホメロスの魂を祀り、その功績をたたえることで自らも神の一部として尊敬を受ける代償として、おそらく「神の花嫁」ならぬ「神の花婿」もしくは「神の代弁者(審神者)」となって、人間としての幸せをすべて手放し、一生をホメロスの魂と共に生きるのではないかと思う。

それがグレイグの幸せかもしれないし、贖罪かもしれない。彼はもしかしたらそれが一番幸せかもしれない。でも、その姿を傍目から見た人ははたして心から喜べるのであろうか。

グレイグの死で完結する救い

ドラクエ11では、時渡りルートでホメロスに一切の救いはなかった。彼は今までの功績がすべて無かったことにされ、誰も彼の真意を知らず、その存在は抹消され、歴史の闇に葬り去られたことだろう。
一方、Sでは、ホメロスの魂が浄化されグレイグの鎧に宿ったことにより、現人神となったグレイグの口からホメロスの功績や人となりが語られるようになった。(かもしれない)
それにより、ホメロスの名誉は回復されその命は半ば永遠のものとなった。しかし、半ば神の世界へと引っ張られ、それでも肉体を持つグレイグは世界が平和になった後、己の幸せを追求できる立場には戻れないだろう。と考える。
グレイグが口をつぐみ、己の幸せを追求しだした瞬間にホメロスの功績を語るものはいなくなり、彼は第二の死を迎えるからだ。
だから、彼は一生をホメロスの功績を語りながら生き続け、その寿命が尽きたときにようやくその役目から解放される。語り部は次の世代へと移り、グレイグとホメロスは同じ「軍神」としてデルカダールに祀られるだろう。ここまで来てやっとグレイグとホメロスは真に対等の者となる。

二次創作に求める救い

3DS版をプレイした際、表ルートをクリアしたとき「ホメロスは世界を巻きこんでグレイグと心中したかったのではないか」と考察した。ほしくてほしくてたまらなかったものが手に入らないなら、世界ごと壊して自分も死のうという発想だ。
巻きこまれた方はたまったものではないが、それだけ彼は苦しくてつらかったんだろう。その真意をグレイグは悟っていたと思うし、きっと世界が平和になり、自分が必要なくなったと思ったら、静かに彼の後を追ったのではないかとすら思う。
今回の追加エピソードで、ホメロスは魂以外のすべてを引き換えにしてグレイグを手に入れた。グレイグはもうホメロスの側から離れることはないし、その功績をずっとずっと語ってくれる。グレイグだって幸せかも、しれない。
でも、グレイグはずっと孤独で、この世のもうどこにもいない人間のことを語り続け、そして一生を終えるだろう。
それをかわいそうだと思うのは傲慢だろうか。
だから、私はホメロスの生存ifをこれからももう少しだけ作り続けるだろう。
ホメロスとグレイグが神とその代弁者ではなく、どこにでもいる普通の男性同士として、一緒に笑ってケンカして、共に老いて子孫を繁栄させ、やがて家族に看取られながら一生を終える。そういう夢を見たいのだ。自分のために。