ドラクエよろず考察所

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ドラゴンクエスト ユアストーリーは、禁じ手の宝庫で最低の映画だった

いつもこのブログではドラゴンクエストの世界に関する考察をやっていますが、今回は番外編ということで、ドラゴンクエスト ユアストーリーの感想を述べたいと思います。ただし、映画が面白かったという人は、ここでそっとページを閉じてください。好意的な感想はほぼありません。また、ネタバレがっつりしてますので、これから映画を見に行くという人は、最初の項目だけ読んでやっぱりページをそっと閉じてください。

なお、私はドラクエ5はリアルでプレイし、現在も11Sの発売を心待ちにしているドラクエファンです。

 

ユアストーリーをネタバレなしで感想を述べる

これからユアストーリーを見る予定の人向けに、まずはネタバレなしの感想です。

この映画は、有名なタピオカ店でタピオカドリンクを注文したら、店員が、スーパーで購入できる紅茶のティーバッグと牛乳、業務用の冷凍タピオカを目の前にずらっと並べて、「このタピオカ、1人分の原価は50円なんだ。よくそんなものに600円も払えるね。もっとましなお金の使い方しなよ」と鼻で笑われるような感じです。
その後、店長が店員をたこ殴りにして「ごめんな、こんものでも君たちにとっては心がウキウキする飲み物なんだよな」と、笑顔で完成されたタピオカドリンクを差し出してきますが、はたしそのドリンクを笑顔で「おいしい」と飲めますか?
ユアストーリーはそんな映画です。なんだかよくわからないと思われるかもしれませんが、本当にこんな構成の映画なんです

では、次の項目からがっつりネタバレ」感想を述べていきます。

で、この映画は誰に見てほしかったの?

これが、私が映画を見終わった後、まずはじめに思ったことです。この映画は一体誰を対象にした映画だったんでしょうか?

  1. かつてドラクエ5をリアルタイムでプレイヤー(今の技術でよりリアルになったドラクエ5の世界を楽しんでほしかった)
  2. これからドラクエのゲームをプレイしようと考えている子供(ドラクエってこんなにわくわくドキドキするコンテンツなんだよと知ってほしかった)
  3. ドラクエをプレイしたことはあるが、5はやったことない人(ドラクエ5の魅力を知ってほしかった)
  4. ドラクエが大嫌いで、はやくシリーズが終わってほしい人
  5. ゲームそのものをみくだし、くだらないと思っている人

ドラクエが映画化するんですから、1~3のどれかを対象にしていると思うじゃないですか。でも、多分監督は4か5に該当する人にこそ、映画を見てほしいと思っているのではないでしょうか?あの構成とオチはそうとしか考えられません。

王道を馬鹿にするものは失敗する

ドラクエは、物語としては王道中の王道でとても単純で、「なんらかの基準によって選ばれた勇者が絶対的な悪である魔王を倒す」これだけです。
ゲームなんですから、あまり複雑な話にするとシステムも同時に複雑になって楽しめません。ゲーム機の進歩によってナンバリングが進むにつれ、多少話は複雑になりましたが、基本的なストーリーは同じです。
世界観もゆるゆるで、「ま、そこはゲームと言うことで許してね」みたいな設定がたくさんあります。
だからこそメディアミックスはやりがいがある反面、難しいと思います。
しかし、「ダイの大冒険」という素晴らしい漫画も生まれたので、ドラクエはストーリーが単純かつイベントが多いので、そのままじゃ映画化は難しいという意見は、いいわけにすらならないと思います。
多分、山崎監督は王道な展開はあまりお好きではないのでしょう。だからこそ、最後にどんでん返しを入れたんだと思います。しかし、そのどんでん返しが絶対にやっては行けない類いのものだったので、結果、「令和のデビルマン」と言われるほど無残なできになってしまいました。がっかりです。

この世界が虚構だってことは100も承知だ!!

この映画のどんでん返しというのは、実は今までの世界は全部虚構だったとラスボスがばらし、世界を消そうとすることです。全然目新しくないですね。
「現実だと思った世界が、実は虚構だった」という映画は古くから無数に存在します。特に有名なものを1本上げるなら、「マトリックス」でしょう。

山崎監督はもしかしたら、ユアストーリーをマトリックスと同じようなものにしたかったかもしれません。
しかし、マトリックスは映画の序盤で主人公が生活していた世界が虚構とわかり、そこからストーリーが動き出します。
一方、ユアストーリーで絵だけは美しく雑に描かれた世界が虚構であると知らされるのは、ラスボスが登場する映画終盤です。
しかも、観客は映画の世界が虚構であると知らされても何のカタルシスもありません。ラスボスは「いや、ほらゲームなんてくだらないからさ、早く現実に戻りなよ」と説教してゲームを消そうとします。
なんですか、これは。私たちはドラクエの映画を見に来たんです。この世界が虚構であるなんて100も承知で、どのように映像化され、ストーリーが紡がれるか楽しみにしていたんです。
それが最後に「これ、ゲームだし」と言われても「知っとるわ」としか言えません。

ネタばらしが遅すぎる

この映画、前半はいいんだよ。という意見もあります。だから、私もちょっとは期待していました。しかし、この映画は前半もひどすぎます。あまりにひどいところが多いので箇条書きで纏めます。

  • ビアンカとの出会いから幼き日の冒険をゲーム画面で説明して終わり。どんなやり取りがあって彼女に主人公がどんな感情を抱いたか、まったくわからない。
  • ヘンリーと出会って1分後に彼が魔物にさらわれ、3分後にパパスが殺され、5分後に二人が成人奴隷になり、7分後に神殿から脱出する。この2人が相手にどんな感情を抱き、友人として付き合っているのか全く分からない
  • 父がゲマに殺され、自分は奴隷にされ、母が捕らわれているのに、復讐を誓うとか、頑張って母を救い出さないと、という感じがみじんもない主人公。しかも、「僕、勇者じゃないし」とおちゃらけながら旅をして何だか知らないけどスライムが仲間になる。まったく応援できないし、レベルアップしていく様子がみじんもない
  • フローラに会ったとたん、「母さんを取り戻し、父の敵を討つ」とかいう目的がすべて吹き飛び、結婚一色で話が進む
  • ビアンカが唐突に表れ、「何でも話せて背中を預けられる人」と主人公が言うが、そんな描写は今まで1個もなかったので、「はあ、そうですか」以外言えない。
  • 結婚を申し込む描写が異様に長く、しかもフローラとビアンカはまるで面識があるかのよう。
  • 最終的にフローラは自ら身を引くが、主人公とビアンカが相思相愛であるかのような描写が0だったので、「なんで?」としか思えない
  • 結婚しても旅をしている様子が全くなく、山小屋みたいな家に帰ってきて唐突に妊娠、出産する(ねえ、パパスの敵討ちと母の救出は?ねえ。どうなったの)
  • 天空の剣を握ったととたん、最強の勇者になる8歳の幼子(天空の剣って核爆弾か何か?)
  • 時折挟まれる、勇者ヨシヒコ張りのお寒いギャグ
  • かなり力を入れて描いただろうことは伝わる過去の自分と会うシーンだが、今までの話が薄っぺらいうえに雑なので感動が全くない
  • リュカ・エル・ケル・グランバニアという名前は連呼されるが、グランバニア王国自体が全く出てこず、王子であるというネタばらしもない。

 

 そして、ラスボスが登場し、映画がラスト5分になったところでユアストーリーは唐突に次のようなネタ晴らしをします。
「いや、ごめんね。この映画実はドラクエの映画化じゃなくて、ドラクエのゲームをしている人間のプレイ動画だったんだ」

ああ、プレイ動画だったら設定が雑なのも早回しで話が進むのもまあしょうがないか、と納得きると思った?できないよ。しかも、本当の主人公が出てくるのは「今からゲームを始めます」というわずか2分弱のシーンだけ。そこで、主人公の子供時代の話をスキップ、という選択をする場面があり、これだけで今までのシーンが恐ろしく雑だった説明をすべてつけてしまいます。そして、本当の主人公の出番はこれで終わりです。

「現実を見ろ」を安易に使う無神経ぶり

さて、この映画のラスボスはコンピュータウィルスです。しかも、どこかの誰かがいたずら目的に作ったもので、主人公はただ単純にゲームを楽しんでいた時に、いきなりこれに襲われます。
通常、架空の世界を現実に戻そうという力が働くのは、主人公が架空の世界で生きていると、重大な危機がやってくるからという理由がほとんどです。しかし、観客は、この主人公がなぜこのゲームをプレイし、何時間楽しんでいるのか全く知りません。ゲームを続ければどうなるのかもわかりません。いや、わずか2分だけ流れた映像から見ると、働きながら適度にゲームを楽しんでいるんだなとしか思えませんでした。
それなのに、いきなりコンピュータウイルスは言い放ちます。
「現実見ろよ」と。

これ以上無神経で悪意に満ちた言葉があるでしょうか。このセリフは主人公に向けられたのと同時に、ゲームプレイヤーとしての「現実」の主人公が全く見えないために、観客に向けられたものでもあると思ってしまいます。
「ほら、お前たちが1800円も払ってみた映画なんて、結局指先一つで虚無になる映像なんだよ。なんでそんなのに夢中になってんだよバーカバーカ」っていきなり映画の中から言われたのです。
山崎監督はこの瞬間、何かを夢中になって楽しんでいる人間に冷水をぶっかけて悦に入る、最低の人間になってしまいました。
その後、いきなり出てくるスライム型のシステム管理者。そして、ゲームの愛がウィルスに勝つという展開。
「ほら、ゲームへの愛はウィルスにも勝るよ」
と言いたいかもしれませんが、現実見ろよの悪意の前にこんな取ってつけたようなハッピーエンドへの展開は、言い訳にすらなりません。

で、この映画、結局何だったの?

この映画を見た人の感想はこれに尽きると思います。私は、山崎監督に中途半端に美しい映像で雑に5のダイジェスト版を見せられたあげく、「映画やゲームに夢中になるなんてあんた馬鹿だね」と思い切り罵倒にされたとしか思えません。
もしかしたら、山崎監督は、ドラクエの映画とドラクエをプレイする人をつないで、主人公=自分という気分を出したかったかもしれません。
ならばなぜ、最初からあの世界を「虚構だ」と説明しなかったのか主人公がゲームをプレイするあの映像から映画を始めなかったのか、と思います。
もし、主人公がゲームをプレイしはじめる映像から映画が始まり、ゲームの世界を壊そうと侵入するウィルスと戦い、ゲームをクリアし、「やった、俺はプログラムだけれど生きている人間同様に大好きなお前たちを守ったよ」といえば、私たちも「なるほど、こういう話だったのか」と納得したでしょう。
結婚のシーン以外全部雑で書割みたいなひどい演出も、「ああ、何週もゲームすればそうなっちゃうよね」と納得できたでしょう。
さらに、ゲームをプレイ中ヨシヒコばりのギャグがあってそれに突っ込んでも
「ああ、そういえばそんな突っ込みしたな」と納得で来るんじゃないでしょうか?
たとえ一部のゲーマー向きであっても、この方がよほどいい映画に仕上がった。
ドラクエ5をリアルでプレイし、今でもドラクエ大好きな私はそう思います。

クリエイター志望者はぜひ、この映画を見よう

漫画なり、小説・映画なり何でもいいのでクリエイターになりたい人は、ぜひこの映画を見ましょう。やっちゃいけないこと全部やってます。これと同じことをしなければ、まずまずいいもの作れるんじゃないでしょうか。それほどひどい映画でした。